戦場のマジックショー

この日記を読むと、「無茶をして!」
と、非難を受けるかも知れない。
でも好奇心よりも、探究心よりも
“行かなきゃ”という衝動に突き動かされたのは事実。

その判断は間違っていなかったし、
この旅のターニングポイントにもなった。

 

ビリン村

パレスチナ自治区に「ビリン」という村がある。
オリーブで生計を立てていた小さな村を
突然の悲劇が襲った。

2002年、
イスラエル軍がこの村にパレスチナ隔離壁を建て
貴重なオリーブ園は壁の外に…。
村人はこの占領を国際法違反の名目で
裁判にかけ2007年に勝訴するも、
いまだ壁は問い除かれず、占領状態がつづいている。

これに抗議するためのデモが
非暴力で毎週開催されている。
「世界で一番安全なデモ」とも呼ばれ、
デモには、プレスや観光客も参加できる。
宿で知り合ったメンバー5人に、
現地情報に詳しい日本人1人を加えた
合計6人で、インターナショナルの本部を尋ねた。

 

これから起こる“現実”

日本人は自分たち6人、欧米人は10人くらい、
そこに村人30名ほどが集まった。
参加にあたっての注意事項を聞き、
お菓子を食べながら、緊張感なく出発の時間を待った。

村人たちは女性はいないものの、
小さな子どもが何人も参加していた。
目的の場所(分離壁)までは笑顔交じりに、
おしゃべりを楽しみながら
ちょっとしたピクニックのようだった。

これから起こる“現実”を
まだ知らなかったから…。

 

壁ではなく、高いフェンスが見えてきた。
どうやらここが最前線のようだ。
イスラエル軍の装甲車が睨みをきかせている。
デモ隊のリーダーらしき人がシュプレヒコールを挙げた。

村人がパレスチナの国旗をかざしながら後につづく。
イスラエル軍は戦列を整えたまま
微動だにしないのが不気味だった。

 

反撃

写真を撮ってくれ、ビデオを回してくれ。

村人は親指を自分に向けてさかんに合図していた。
これから起こる“現実”を世界に知らせてほしい、
それが願いだった。

ズドーン!!!!!!!

軍の秒読みが終わったことをバズーカーの音が知らせた。
乾いた音が響き、弧を描ながら催涙弾が飛んできた。
大きな音を立てて着弾!!
白煙が巻き上がった。

えっ!?

言葉を失った…。

初めて撃たれた…、これが戦争…???
武器を持たない村人に容赦なく催涙弾の雨を降らせた。

 

これが彼らの日常、デモ隊はひるまない。
逃げ惑いながら、再び最前線を目指し、
もうもうと煙を吐く爆弾を蹴りかえしている。
しかも子どもたちが…。

 

イスラエル軍は戦列を変え、
挟み撃ちするようなフォーメーションで
前後から撃ってきた。
近くに着弾し、
避けきれずガスを吸ってしまった…。

 

息が止まる…、目が見えない…、
く、苦しい…。

ガスを吸うと10秒ほど動きがとれなくなる。
初めての体験に足がガクガクと震えた。
しかも弾は予想以上に早く、
もし直撃したら火傷と打撲を負う。
動けない恐怖…!
危うくパニックになりかけた。

やがて呼吸が戻り、視界も回復。
タオルで口を押さえ、風上へと急いで避難した。
インターナショナルの説明では
外国人に向けて発砲はしてこないと聞いていたが
ただ、流れ弾には気をつけてほしい、と。
この場合、流れ弾とは風に乗った煙のことで、
少量でもその効果は絶大だった。

そりゃそうだ、
安全な戦争なんてない!
たった30分間だったが、
“現実”の恐さをまざまざと見せつけられた。

 

 

希望の光

田舎の長閑な風景。
壁で遮断されたオリーブ畑。
地面には無数の焦げ跡、
そして煙がいつまでもくすぶっていた…。

 

村人たちは木陰に集まり、
今日のミーティングをはじめた。
こんな一方的な展開に
何の成果が残せたというのだろう。
ここに集まった僕らがこの現実を受け止めること、
それが唯一、彼らにとって希望の光なのだろう。

 

幸いケガ人はいないようだ。
ただ、この地域では発ガン率が急上しているらしい。
催涙ガスの影響という声もある。
そして僕らインターナショナルが帰ったあとには
軍による“残党狩り”が待っているとか…。
大きすぎる代償に、再び言葉を失う。

沈んだ気持ちで本部へと歩き始めた。
仲間たちとこの現実について話しながら。
軍はどんな気持ちで発砲しているのだろうか。
デモを制圧するため?
上からの命令に背けないから仕方なく?
戦争を知らない時代に生まれたと思っていたが、
それは日本だけの話。
海の向こうではこんな日常が
当たり前の景色として広がっていた。

 

いつでも笑みを―

帰り道、
仲間のひとり“ケイゴ”が村の子どもたち相手に
手品を披露した。
目の前で繰り広げられる
不思議な光景に瞳をまん丸にして喜んでいる。

その輪はだんだん大きくなり、
大人たちも歓喜の声を上げた。

ジャパニーズ・マジシャン!!!
ある外国人プレスはノートにペンを走らせた。

シュプレヒコールではなく、歓喜の声を―。
デモ行進ではなく、ヨロコビの輪を―。
悲しみ、憎しみではなく、いつでも笑みを―。

言葉も通じないのに僕らは1つになった。
だから、言葉が通じる彼らが
1つになれないわけがない。
今日見たこの2つの光景は
忘れられない旅の財産になるだろう。

 

旅のカケラ/slideshow

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