戦士たちの休息

ナイロビの手前にある街「イシオロ」。
深夜3時まで走り続けた
地獄の17時間タンクローリーを降り、
出発前のバスで仮眠をとる。

 

死んだように眠った

このまま午前6時発のバスで
ナイロビに向かう予定だったが、
あいにくの満席。
そこでマタツと呼ばれるワンボックスカーに
乗り換え、午前4時30分に出発した。

さすがに首都が近いだけあって道は完全舗装。
ワゴンは滑るように進んだ。
狭い車内で僕ら4人は身体を寄せ合い、
死んだように眠った。

目が覚めると、もうホテルの前だった。
寝ぼけ眼で見たナイロビの街は美しかった。

 

ナイロビは大都会だった

ナイロビは1899年に
モンバサ~カンパラ(ウガンダ)間を結ぶ
鉄道工事のために作られたキャンプが
元になった歴史の浅い街。

現在は東アフリカで最も繁栄する都市へと成長し、
かつては湿地帯であったなど、水が豊富な都市で、
ナイロビの名はマサイ語の
「エンカレ・ナイロビ(冷たい水の意)」
から来ているという。

しかし、集中する人口と高い失業率により犯罪が多く、
日没後の市内は地元の人でも徒歩で移動しないほど
治安の悪い都市として有名である。
某“C球の歩き方”にも、
「この街は歩いてはならない」と記されている(笑
ナイロビ対策として、財布を5つに分け
ダミーの財布をいくつも用意したくらいだ。

 

 

カズマの手紙

宿はダウンタウンにある
『ニュー・ケニア・ロッジ』を選択。
鉄格子の玄関をくぐると、エジプトで再会した
カズマのザックが目に飛び込んだ。
抜きつ抜かれつの僕らの旅は、
支流のように何度も別れながら
ここでまた1本になるのか(笑

しかし、居たのはザックだけだった。
オーナーが手紙を預かっていると、
小さな紙を持ってきた。

「サファリに行ってきます。
ヌーはもう行ってしまったようだよー。
22日に戻ってくるざんす」

そう記されていた。
入れ違いかぁ…。
ちょっと残念だったが、
手紙を残していってくれたことが嬉しかった。

 

いつかどこかで

街を歩き、ビーフカレーを食べ、
買い物を楽しんだ。
久々のインターネットも快適だった。
都会はいい、文明バンザイ!!

ナイロビの街はやはり緊張感があった。
知らず知らずに早足になるし、
大好きなカメラも出せやしない。
人通りの多い道を選び、
若干背後を気にしながら街を散策した。
夕方までには宿に戻り、
夜はおとなしく部屋で過ごした。

このまま4人でサファリへ行くことを話し合い、
今後の予定を考慮すると
カズマが帰ってくる22日に出発することが
4人にとって一番都合が良いと決まった。

入れ違い―。
でも、また会いましょう。
いつかどこかで。

 

旅のカケラ/slideshow

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