朝、6時30分。川のせせらぎで目を覚ます。
カーテンからは朝の光が差し込み、
天井のファンが静かに回っていた。
ポケットに地図をねじ込む
あいまいな記憶を瞬時に結び合わせ、
そっか、ルアンパバーンにいるんだ!と、
布団を跳ね除けるように起き上がった。
これ以上ない、穏やかな朝のお迎えだ。
水量は申し訳程度だが、充分に温かいシャワーを浴び、
大きなバックからカメラをひっぱり出す。
地図をポケットにねじ込み、
「じゃあ、行ってくるわ」と、
まだ夢の中にいる友人の枕元に鍵を置いた。
古都をめぐる
ここはルアンパバーン。ラオスの古都。
古くはランサン王国の王都で、ムアン・スワと呼ばれ、
その後シェントーンと名を変えた。
カーン川とメコン川の合流地点に位置する緑豊かな街である。
約80の寺院が残っているので、いくつ巡れるか楽しみだ。
モザイク画が美しい「ワット・シェントーン」、
スイカ仏塔の名で知られる「ワット・ウィスナラート」、
インドのアショカ王の使節団が建立した「ワット・タート・ルアン」、
黄金のレリーフに圧倒される「ワット・マイ・スワナプーマハム」…。
挙げればキリがない。
約5時間かけて、17の寺院を巡った。
無類の寺好きなので、
ディズニーランドで例えれば寺がアトラクションなのだ。
途中、「プーシー」と呼ばれる、小高い丘に登った。
300段の階段を踏みしめ、頂上に着くと街がジオラマのように見えた。
照りつける日差しを和らげる、心地いい風が吹き抜ける。
「心が洗われる」とはよく言ったものだ。
旅ってなんだろう?
木陰に腰をおろし、川に挟まれた街を眺めた。
旅とは何か?
自分探し?
いや旅先で見つかるほど簡単じゃない。
美しい景色に出会うため?
それだけのためにこんな遠くまで行く
モチベーションは続かない。
出会いを求めて?
それもまた違う気がする。
「こんにちは」日本語で話しかけてきた修行僧。
まだ15歳くらいだろうか?
隣に腰掛け、たどたどしい日本語で、
会話をしようとする。
「OK、スローリー」(KAZ)
やさしい気持ちが芽生えてきた。
彼は独学で日本語を勉強しているという。
日本の美しい寺が好きだから、いつか日本に行きたい、
それが彼のモチベーション。
家族構成や数の数え方、簡単な挨拶や季節の話。
日本語を教える代わりに、ラオス語を教えてくれた。
はたからみれば取るに足りない会話だが、お互いに真剣そのもの。
ゆっくり、ゆっくりと、
子どももあやすように、会話をつづけた。
旅は場所じゃない
汗もすっかり乾き、肌寒さを感じ始めた。
もう1時間はこうしていただろうか。
難しい名前の少年僧に別れを告げ、
階段を下りていった。
そっか、旅とはこういうことだ。
何かを求めて旅をするのではなく、
旅先で起こる何かを受け入れること。
何気ないことに心が動く瞬間こそ旅の醍醐味じゃないかな。
あれが見たい、これが食べたいは、
旅のきっかけで、
本当の面白みは、こんな小さなことなんだろう。
旅は場所じゃない。
小さく心が動いたとき、
それは旅が始まった合図かも。
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