憧れの1つだったパルミラ遺跡を見納め、
「ホムス」へ向かうことにした。
久々に同じ宿に2泊したので、充電はMAX。
疲れが吹き飛んだ気がする。
そして、早く次の場所に行きたくてうずうずしてきた。
遅い夕食
昨夜は、宿の主人が夕食を忘れていたため、
午後10時過ぎにようやく食卓についた。
夕食の内容は、ヤギの肉じゃが、切れ切れのにゅう麺、
べたついた白米とデザートだった。
肉じゃがは時折ヤギのあごひげが入っていてぞっとする。
もともと食のこだわりは持ち合わせておらず、
水気がないもの以外なら何でも食べるんだけどね。
そんな遅い食事を摂っていると日本人客がひとり迷い込んで来た。
「こんにちは、日本人ですよね?」
妙なやりとりだが、旅ではここから会話のキャッチボールが始まる。
「あ、シリア大使館で会いましたよね?」(KAZ)
ああ!相手も思い出したようだ。
この広い世界で、
旅人どうしが歩んでいる場所は狭い世界。
今まで何度となく繰り返してきた光景だった。
その晩は遅くまで話し込み、
今後のルートを教えあった。
想定しているルートは似通っていて、
この後行こうとしている「イスラエル」の
入国日も近かったことが収穫だった。
イスラエルは物価が高いため、
誰かとホテルをシェアするのが得策。
そして、やっかいな※スタンプ問題があるため、
一緒に行く人を見つけたほうが心強いと思っていた。
※イスラエルの入国スタンプがあると、
エジプトやヨルダンを除くイスラム諸国に入国できなくなる。
そのため、イミグレでは「ノースタンプで」とお願いするのだが、
この際に2~8時間待たされるという地獄の国境なのである。
見えない縁でつながっている
そういえば、
3日後に入国を予定しているレバノンもそうだ。
レバノンは中東の中ではちょっときな臭い国で、
ここ最近、国内の政情が不安定である。
先日、日本大使館で得た情報では、
「パレスチナの難民キャンプに近づかなければ大丈夫」と言われたが、
それでも若干の不安は残っていた。
そんな折、ダマスカスの宿でレバノン帰りの日本人と出会った。
年齢も近く、しかも旅のゴールが南アフリカの喜望峰であり、
今後のほぼ同じルートを辿って旅をすることになる。
「あぁ、レバノン?大丈夫だったよ」
あっさりと背中を押してくれた。
彼とはエジプトでの再会を約束して別れた。
イスラエルとエジプト。
どちらも確約はないが、きっと彼らに再会できると思う。
いつも欲しい情報が、絶妙のタイミングで集まってくる。
“渡りに舟”とはこういうことか。
ひとり旅だけど、見えない縁でつながっている。
パルミラ→ホムス
翌朝(つまり今日)、
バスに乗り込み「ホムス」へ向かった。
シリアで過ごす最後の街である。
パルミラ→ホムスはバスで2時間。
料金は100シリアポンド(約250円)だった。
ホムスは、シリアで3番目に大きな街。
バスを降りると数人のタクシー運転手に囲まれた、
というよりカラまれた…。
腕を引っ張って客を奪い合う。
言い値もべらぼうに高い。
中には勝手にザックを開けだす輩もいる!
何すんだよっ!!
どこへ行けばいいか分からず、
ガイドブックに載っているホテルを指差すも
OK、OKと軽い返事しか返ってこない。
その中のひとりに携帯でホテルへ電話をかけてもらったが
明らかに電話をしてる素振りだけだ。
こいつらは信用ならない…。
ちょうそこへセルビス(乗り合いワゴン)が通りかかった。
運転手が手招きしている。
「いいから乗れ」
そう言ってる気がした。
荷物を担いで、逃げるようにワゴンに飛び乗った。
タクシー運転手たちはすごい剣幕でわめいている。
中には4人の軍人が乗っていて、
彼らを一蹴してくれた。
ドアを閉めると同時にワゴンは走り出した。
親切なセルビスの運転手、
そして優しい軍人たちがホテルの近くで降ろしてくれた。
シュクラン(ありがとう)と手を振り、
目的のホテルへ向かった。
“渡りに舟”
いくつの川があるのか分からないが、
いつも舟が来てくれる。
この先もこうであってほしい。
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