そして伝説へ…

ブッダガヤーをたった1日で離れることにした。
もうインドはうんざり…、上澄みだけをサラっと味わって
さっさと次の国へ脱出したくて仕方ない。

 

私はアメリカ人です

特にここブッダガヤーは、
流暢な日本語で話しかけてくるインド人が多く、
道を歩いているとずっと後をついてくる。
胡散臭いし、面倒臭い!
「I am American(私はアメリカ人です)」と言って無視しつづけた。

9時発コルカタ行きの列車チケットを購入していたので
余裕を持って駅に向かい、ホームで列車を待つことにした。
ちなみにガヤ→コルカタは、
乗車時間8時間、料金は233ルピー(約650円)。
定刻の1時間前にガヤの駅に着き、
列車の入線を確認しようとボードに目をやる。
どうやら2番ホームのようだ。

荷物を降ろしてプラットホームの片隅で列車を待つことにした。
インドに来て以来、列車を3度利用したがすべて遅れて入線している。
定刻を過ぎても列車はやって来ない。
やはり今日も遅れているようだ…。
1時間、2時間と時間が過ぎていく。
いっこうに列車がやって来る気配はない。
3時間を過ぎたころ、いい加減待ちくたびれてきた。
そして焦りが生じてきた。

 

大都市コルカタ

 

コルカタはインド第二の人口を抱える大都市である。
デリー同様、夜中に着くのだけは避けたいところ。
多くの日本人が偽タクシー、偽観光案内所に騙されているからだ。
結局4時間待って、向かいの3番ホームに列車が到着した。
アナウンスはあったようだが、当然ヒンディー語なのでわからない。
危うく気づかないまま列車を見送るところだった…(汗)
走り出した列車に飛び乗り、事なきを得た。

狭いシートに身体を横たえ、うとうとと8時間をやり過ごした。
午後9時、大都市コルカタへと列車は到着した。

ここコルカタは知性の都といわれる。
世界的に名の知れた詩人や思想家、映画監督などがこの地から輩出し、
連日、前衛劇や美術展が開催されている。
コルカタには「東インド会社」の最初の本拠地があり、
いくつかの有名な史跡はこの英国貿易会社によって建てられた。
しかし300年の歴史の中で中国、アルメニア、ユダヤなどの
異なった社会を受け入れ、それぞれが影響を残している。
人口も4500万人と膨れ上がり、まさに“混沌”の街である。

 

サダルストリートにある伝説の宿

駅に降り立ち、出口へ向かうと
客引きのタクシーが群がってきた。
いつものことながら、彼らを振り払うのには労力がいる。
目を見ず、口を聞かず、
草を掻き分けるがごとく、彼らを押しのける。
駅や空港にいるタクシーはたいてい悪質なので
相手にしないのが一番。
通りへ出て、流しのタクシーを拾うか、
駅のプリペイドタクシーを利用するのが賢明だ。
無事にタクシーを拾い、ひどい渋滞の街を抜けた。

行き先はサダルストリート。アジアで1、2を争う安宿街だ。
あの沢木耕太郎氏も泊まった伝説の宿「パラゴン」がある。
いつも満室だというパラゴン。
ダメもとでフロントに聞いてみると、なんと空室があるという。
1泊120ルピー(約300円)で、設備を考えると決して安い宿ではないが、
伝説の宿というからには、十分な付加価値である。

ロビーには多くの日本人が巣食っていて、
誰もが長旅の雰囲気を醸し出している。
軽く頭を下げながら足早に彼らの横を通り過ぎ、部屋に入った。
壁にジョン・レノンの落書きがある簡素な部屋だった。
鍵をかけ、すべてを遮断するとようやく心が落ち着いた。

インドに、そして人に疲れている…。

果たしてこの状態を「楽しい旅」と胸をはれるだろうか?
頭の中は、次の国への期待で満ちていて、
言い換えれば、“逃避”なのではないだろうか??

 

旅のカケラ/slideshow

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