戦争と平和

レバノンの首都「ベイルート」。
街は新しく生まれ変わったが、
今でも内戦の傷跡が残っていた。

破壊された高架、ビルの弾痕、
そしておびただしい兵士の数。

 

中東のパリ

ことのはじまりは2006年。
イスラエル兵拉致を端に発した
イスラエル軍とヒズボラとの衝突。
「中東のパリ」と称された美しい街は
一瞬にして瓦礫の山と化した。

大規模事業によって街はかつての美しさを
取り戻したかに見えるが、
いつ再戦が起きてもおかしくない状況に変わりはない。
イスラエルとの対峙に加え、
パレスチナ難民問題、イスラム過激派組織によるテロ。
レバノンを取り巻く状況はいまだ不透明で、
政情不安定はつづいている。

レバノンを旅していると、治安はいいし
人々の表情も明るい。
とても“緊張”を感じとることはできないのだが、
これは日本の地震と同じで、
突然発生し、負のスパイラルを描くのだろう。

 

南レバノンに行こう

“戦争”と聞くと、遠い昔のことか、
はたまた対岸の火事のようにとても希薄である。
しかし、この国ではつい2年前まで戦争があり、
火種はまだくすぶっている。
もし可能なら、「自分の目で戦争を見てみたい」
そんな気持ちでいると、
同宿の欧米人から声がかかった。

「明日、南レバノンに行くツアーがあるのだが、
あとひとりメンバーが足りない。
よかったら参加しないか?」

南レバノンはイスラエルとの戦争の激戦区であり、
観光をするには許可証が必要な地域である。
行きたい場所ではあったが、
間違ってパレスチナの難民キャンプに迷い込んでしまったら…
そう考えると、ひとりでは不安だった。

3人の欧米人と地元ガイド兼ドライバー、
願ってもないチャンスだ。
ツアー料金は1人25ドル。
宿のオーナーも、今の時期は安全だから大丈夫!と
太鼓判を押してくれた。

 

戦争の跡

最初に向かったのは「サイダ」という
レバノン第3の都市。
海岸沿いと街が開け、ビーチリゾートとして人気が高い。
かつての十字軍の砦であった「海の要塞」に立ち寄った。
「スール」という街に入ると、少し様子が変わってきた。
街に配置されている兵士の数が増え、
時折白い装甲車を見かけるようになった。
装甲車には「UN」と書かれている。
そう、国連の平和維持軍だ。

イスラエルとの国境が近い街なので、
緊張感が高まっている。
ドライバーからも写真を撮っていい区域と、
いけない区域の注意が飛んだ。

車はある高台にある施設跡へと向かった。
そこはイスラエルとの国境が見える位置に建つプリズンで、
当時の捕虜を拘束していたそうだ。
今では空爆により廃墟と化しているが、
壊れた戦車や爆弾の破片、
絞首台や独房が生々しく残っていた…。

風がざわめく丘で戦争のカケラを見た。
はたして戦争を知らないことは
幸せなことなのか、愚かなことなのか?
今なお世界には、戦火が上がっている国がいくつもあるのに。
吹き抜ける風の音が、悲痛な叫びに聞こえた…。

じゃあどうすれば…?

もちろん、答えは見つけられない。
きっと戦っている人たちも
本当の答えは知らないのだろう。
―それが戦争―
いつも残るのは瓦礫の山と悲しみの川だけだ。

 

朽ち果てた神殿

帰り道、スールにある
ローマ・ビサンチン時代の遺跡に寄った。
世界遺産である。
幾何学模様が刻み込まれた大理石が並び
その大通りは海に向かって伸びていた。

かつては海の向こうのエジプトと交易していたという。
円柱は倒れ、神殿は朽ち果てていた。

そうか、これも戦争の跡か…。

太古の戦争も今の戦争も、
どちら“戦争”に違いはないのだが、
遺跡にロマンを感じるのはなぜだろう?
今の戦争も未来の人々にとっては
やがてロマンとなるのだろうか?

『戦争と平和』
トルストイの作品を読んだことはない。
分厚くて難解な本だという、
薄っぺらで単純な知識しか持ち合わせていない。
本日の日記ですら着地点が見つからないのに、
トルストイはこのテーマをどう結んだのだろう…。

無事に宿に着き、
甘いスイーツを食べながら、こうして今日を振り返った。
今わかってることは“平和”が一番。
たとえ退屈な毎日であっても、
それは幸せと呼びたい。

平和ボケ?
それも幸せなしるしじゃないかな。

 

旅のカケラ/slideshow

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