サヨナラとありがとう
ネパールは現在雨季真っ只中。
にもかかわらず、2日つづけて快晴とは運がいい。
カトマンズは見所が目白押し
午前7時、今日も観光魂は燃えている。
バスターミナルへ行き、
「ボダナート、ボダナート」と連呼すると
1台のバスが手招きした。
ボダナートは、古くて巨大な仏塔で、
世界最大級の大きさを誇るうえ、
世界のチベット仏教の中心地になっている。
バスで20分、意外と近いのね。
ストゥーパの四方には大きな目が描かれ、迫力満点。
雲はあるものの青空に映えて美しかった。
さて、昨日の日記にも記したように、
ネパールの観光地は外国人のみ入場料が必要である。
ところが、どうもネパール人にみえるらしく
一度もお金を徴収されていない。
喜ぶべきか、悲しむべきか…。
本日1ヶ所、ボダナートの入場ゲート。
一眼レフを肩にかけ、思いきり係員の顔を見て会釈してみた。
ニコリともせず、すぐ後ろにいた欧米人に
「チケットは?」とチェックを入れている。
この“顔パス”はスゴイ効き目だ。
パシュパティナート
テンプーというワンボックスカーを改造した
乗り合いタクシーを捕まえ、「パシュパティナート」へ向かう。
このテンプー、なかなか骨のある乗り物で、
通常9人乗りであろう車に、運転手を含めて20人は乗っている。
すし詰め、おしくら饅頭状態なのである。
窓に顔を押し付けながら、薄い酸素を分け合った…。
パシュパティナートは、「動物の王」であるシヴァ神が祭られていて、
ヒンドゥー教徒の聖地のひとつで、世界遺産に数えられている。
寺院内への入場はヒンズー教徒のみが許可されているため、
我々観光客はバグマティ川の東岸から
寺院や内部の様子を伺うのである。
もちろん“顔パス”で入場した。
すべてに終わりがある
橋の脇にはガートと呼ばれる火葬場があり、
茶毘の煙が絶えずたなびいている。
オレンジの布で包まれた物体、
きっとそれがそうなのだろう。
次々と運ばれてきては、土に還っていく。
なぜか遺族に悲しそう表情はなく、
寿命を全うした故人を誇らしく見送っている。
生と死は表裏一体。
死ぬために生き、生まれ変わるために死ぬ。
潔く最期のときを迎えられるかは、
今を精一杯生きているかどうかにかかっている。
この川が絶えず流れているように、時間もまたしかり。
当たり前のことを、もう一度確認しながら
この美しい光景を見守り、
他の観光客を真似て神妙にシャッターを切らせてもらった。
すべてに終わりがある。
でも生まれ変わって、はじまりが来る。
惜別の時
よし。
意を決してカメラ屋に向かった。
実はこのカメラ(一眼レフ/Canon 5D)、
すこぶる調子が悪い。
明るさを測る測光計が壊れてしまったようで、
シャッターを切るたびに
真っ白、真っ暗な画像が繰り返される。
なんとかなだめすかして、
ようやく注文通り一枚が撮れるわけで、
とても使い勝手がよくない。
先日見つけたカメラ屋には、
「Canon 40D」という最新の一眼レフが置いてあり、
いくら?と尋ねると、
「1200ドル(約13万円)」という色気のない返事だった。
今持っているカメラを下取りに出せば…。
愛着と使い勝手、強い葛藤の果てに
ついに“手放す”決心をした。
きっと、ガートの光景がきっかけになったのだと思う。
まずは欲しいカメラの値引き交渉から。
昨日1200ドルだったカメラ、さて今日はいくらだい?
「1000ドル」
おぉ、まさかの200ドルダウン!
いい流れだ。ここで切り札のカードを。
「このカメラを下取ってほしい。700ドルで」
カメラを手に取り、鑑定を始めた店主。
「いいのかい?君が欲しがっているカメラより
何倍も高いカメラだよ」
購入価格はたしか37万円。
紐なしバンジーの気分で、えい!って一括払いした。
あれから5年、もう減価償却はしたはずだ。
「うん。そのカメラに買い替えたいんだ」(KAZ)
「じゃあ、500ドルでどうだい?
あと500ドルを足せばこのカメラが買えるよ」(店主)
「もうひと超え!?」(KAZ)
「古いし、調子が悪いんだろ。500が限界だ」(店主)
5分悩む。
そしてひねり出した答え。
「じゃあ、こうしよう。
新しいカメラの付属品は全部いらない。
バッテリーもレンズも。
だからせめて600ドルで下取りして」
再び電卓を叩き、今度は店主が首をひねる番だった。
将棋で言えば竜王戦。
名人が出した一手は、「OK」
古いカメラ(故障中)と400ドルで
最新のカメラを手に入れた。
嬉しさを噛み締めながらご機嫌に街を歩いていたが、
ふつふつと淋しさが込み上げてきた。
本当に良かったのかな?
5年間、仕事でプライベートで、
とにかく大切に使ったいわば相棒。
シャッターも20万回は切ったはずだ。
修理して使ってやれば良かったな…。
大切なものは無くしてから気づく。
こんなに切なくなるとは想定外だった。
もどろうか…?
この感情は、誰しも一度は経験がある
「捨て猫もどし」に似ている。
小学校の頃、捨て猫を拾って帰り、
親に「飼えない!」と一蹴されて
もう一度元の場所に置いてくるときの気分だ。
ニャー、ニャーと、
いつまでも泣き声が追いかけてくるような…。
思考は頭を駆け巡り、何度も足を止めようとした。
でも…。
“生まれ変わった”
そう思おう。そう思うことにしよう。
旅はまだまだ続く。新しいカメラは必需品だ。
頼むよ2代(台)目。先代の伝統を受け継ぐんだ。
ありがとう5D。
いい人にもらわれるんだよ。
日本じゃなくてネパールでゴメン…。
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