午前2時30分、
真っ暗な部屋に耳障りな機会音が鳴り響いた。
音の正体は携帯電話のアラーム、
そう、今日は早起きする理由がある。
エジプト観光のハイライト
午前3時、パン、チーズ、ジャムという
簡素な朝食を摂り、部屋を後にした。
午前3時30分、満員のマイクロバスが到着。
あいにく補助席しか空いていなかった…。
午前4時、狭い車内で身体を縮めて眠りにつく。
エジプト観光のハイライト、
「アブ・シンベル神殿」ツアーのはじまりは
こんな感じだった。
期待に胸を膨らませたいところだが、
さすがにこんな時間じゃ、眠気の方が勝ってしまう。
何度も隣の欧米人と頭をぶつけながら
砂漠の道をバスに揺られつづけた。
4度目のサンライズ
午前5時30分、
車窓に日の出を見つけた。
エジプトで迎える4度目のサンライズは、
何もない砂漠からその姿を現した。
片目だけを開け、顔をしかめながらザックに手を伸ばし、
デジカメを探す。
気力を振り絞ってシャッターを切った。
画像の確認もせず、そのまま眠りに落ちた…。
バスは4時間走り続けた。
アスワンからアブ・シンベルまでは実に280km。
日帰りツアーを申し込んだため、
真夜中の出発を余儀なくされた。
バス代のみで1人80ポンド(約1600円)だった。
アブ・シンベル神殿
「アブ・シンベル神殿」は、
スーダンとの国境近くにあるヌビア遺跡。
砂岩でできた岩山を掘り進める形で
作られた岩窟神殿である。
建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。
1960年代、ナイル川に「アスワン・ハイ・ダム」
の建設計画により、水没の危機にあったが、
ユネスコによって国際的な救済活動が行われた。
実はこのことが、
世界遺産の創設のきっかけとなったという。
“THE 世界遺産”
アブ・シンベル神殿は
世界遺産の象徴的な遺跡といえよう。
ヤツは唐突にその姿を現した。
どうだ!と、自信たっぷりに
待ち構えているように思えた。
たしかに、スゴイ…☆
ナセル湖のほとり
高さ22mのラムセス2世の巨像が4体、
大神殿の入口にそびえていた。
そう言えば、先日ルクソールで訪れた
カルナック神殿やラムセウムも彼が造ったもの。
(正確には造らせたものだが…)
どれだけの権威を持った人物だろうか!?
圧倒的な力を見せつけ、
畏怖を持って国を統治したのだろう。
ただ、寝起きすぎて感動は薄れてしまった。
訳のわからないままバスに乗り込み、
背もたれもない補助席で首を痛めながら眠り、
目が覚めたらこの景色だもん…、
ちょっと思考が追いつかないよ。
まだ、夢のつづきを見てるみたいだった(笑
あくびと溜息が交互に出た。
神殿内には無数のレリーフ。
ヒッタイトとの戦いを描いた内容だった。
すぐ隣には彼の家族が刻まれた小神殿もあった。
神殿の向かいにいはナセル湖が広がっている。
琵琶湖の実に8倍というから驚きだ。
アブ・シンベルは観光客でごった返していたため、
早々にその場を離れ、ナセル湖のほとりに腰掛けて、
遠巻きに巨像を眺めた。
バスが発車するギリギリまで
ぼんやりと座り込み、
消化しきれない感動に戸惑った。
湖畔の風は心地よかった―。
イシス島とダム
エジプト最後の観光地は、「イシス島」。
ナイルに浮かぶ聖なる島で、舟で渡る。
人もまばらで、こじんまりとした神殿は
情緒があり、かえって感動を呼び起こした。
日本人には、趣や風情、そして情緒が似合う。
アブ・シンベルの大迫力よりも、
この静かな遺跡が気に入った。
帰り道、バスは
「アスワン・ハイ・ダム」にも立ち寄った。
入場料が20ポンド(約400円)だったため
運転手に申し出て、
入口で降りて待つことにした。
ダムには特に興味がなかったので
ムダなお金は遣いたくないし。
バスを降りると、
3人の日本人も後につづいてバスを降りた。
不思議そうに見つめる欧米人を横目に、
木陰に座り、グビっと水を喉に流し込んだ。
10分後、バスが戻ってきた。
車内に乗り込むと、不満顔の欧米人たち。
「たった5分だよ!
ただの人口湖じゃないか!!」
でしょ(笑
ちょっと得意顔でにやけてしまった。
フェリーチケット
宿には午後3時に到着した。
そして事件が1つ待ち受けていた。
「ヤバイっす…。事件ですわ」
アフリカを一緒に駆け抜ける新メンバーの
ヒロくんが苦笑いしている。
「どうした?」
「フェリー、完売っす…」
え”!!
明後日(20日)に乗るはずだった
スーダン行きのフェリー。
すでにチケットは完売していて、
取れたのは24日発の便だった。
「あ、あと5日も…(汗)」
エジプト滞在は、予想外に長くなっている。
補足:
アブ・シンベル神殿
43.5ポンド/約870円 ※学割価格
イシス神殿
20ポンド/約400円 ※学割価格
イシス島への渡し舟
5ポンド/約100円
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