名もなき詩

 

 

 

甲子園、9回のマウンド
ふぅ…、大きく肩を揺らしながら息を吐き、
照りつける太陽を見上げる。
あと1球、
長かった夏に幕を下ろそう――。

旅を何かに置き換えるなら高校野球だ。
毎日が筋書きのないドラマ、
青春の甘酸っぱい香りがする。
見えない明日を追いかけ、
終わらない夏を駆け抜けた。
楽しかったよ。

 

 

現実が思い出になる

 

 

飛行機はどんどん日本へ近づいていく。
憧れがいつしか現実になり、
その現実が今度は思い出になろうとしている。
一生忘れることのできない、濃くて深い思い出に。

旅に出る前、『深夜特急』を
旅の終着駅がどこにあるのだろう、
と、胸をおどらせながら読んだ。
そして人生は終着駅へと歩み続ける旅だと思った。

座右の銘ではないが、
人生に必要なものは目的ではなく目標である。
二十歳の頃にそう気づいた。
ずっと先にゴールを見据え、
目の前にある目標を1つ1つクリアして行けばいい。
だから旅に特別な目的を求める必要も全くないと思う。

 

旅の意味

 

 

だけど旅も人生も、
その行く末に胸を期待に膨らますよりも、
その長さに途方にくれることのほうが多いように思う。
情況を能動的に捉えるための旅もありうるし、
そこから逃げ出すための旅もありうる。
この旅はどっちだ?

もし、旅立ったことの意味が必要ならば
もし、旅を終えたあとの答えが必要ならば
それを定義づけるのはもっと先、
今見えている未来よりもずっと先になるだろう。
旅をした、というフィルターが備わったことで
この先の生き方や考え方にきっと変化が出るからだ。
楽しみでもあり、怖くもある。

そして、この旅では少年時代に遡って記憶を掘り起こし、
ずっと自分の原点を探していた気がする。
自己の記憶を遡る内面への旅と言えばいいのだろうか。
いくつもの心象風景を見つけたし、
もうひとりの自分と対峙していた。
キミとボク?

 

虚空、淋しいくらいに無限だ

 

日本に、成田空港に着いた。
ガクン、と機体は衝撃を受け止め
滑走路を滑っていく。
激しい逆噴射、終わりへの急ブレーキ。

16:55
約1年3ヶ月ぶりに日本に帰ってきた。
電車に乗り換え、東京駅へと向かう。

車内は帰宅するサラリーマンで混み合っていたが
驚くほどに静かだった。
誰もが疲れている。
何かを終えたあとは笑顔ではなく
少しうつむき加減になってしまうようだ。
みんな長い旅だもの、仕方ないよね。
規則正しい車輪の唄が夜に響いていた。

先のことはわからない。
虚空、淋しいくらいに無限だ。
人は限りある人生の中で
その無限の重みに耐え切れなくなってうつむき、
何度も目を閉じる。

でも、
目を閉じている間にすべてのものごとが動いている。
この旅で自分の小ささや弱さを知った。
だから、少しだけ強くなれた気がする。
目を開けなきゃ、
自分の人生だもの一瞬たりとも見逃しちゃいけない。

ほんの少し前、つま先の一歩先でいい。
そこを目指して歩いて行こう。
それでいいんだよね、きっと。

 

深夜特急

 

はじまりはおわりへ、おわりはじはじまりへと
一本のラインを引く。

終わらない夏、
その長い長い夏が終わった――。
でも季節はめぐり、また新しい夏が来るから
旅の終わりも悪くない。

日付が変わった24時10分、
名古屋へと向かう夜行バスは静かに動き出した。

ふふふ、深夜特急だ。
また1つ夜を越えて、新しい朝を迎えにいく。

「ただいま」
この言葉を言うのはこの夜の向こう側だね。

カタチのないものを
伝えるのはいつも困難だね
だからDarlin
この「名もなき詩」を
いつまでも“君”に捧ぐ

 

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