マチュピチュの朝は早い。
雲の切れ間に見たものは…
眠気と闘いながらバスに揺られる
午前4時起床、熱いシャワーを浴びる。
ゲストハウスではなくここはホテル、湯量が全然違う。
バスタオルもシャンプーも用意されているから気持ちがいい。
1泊3000円のところを太っ腹の600円だもの!
マチュピチュを2泊にして良かった♪
遺跡へと向かうバスは午前5時半に出発した。
つづら折りの道をゆっくり上っていく。
嫌がおうにも期待感が…、といいたいところだが
早起きだったためすっかり眠りこけてしまった(笑
朝霧の中の遺跡
入口でチケットと再度学生証のチェックがあったが問題なくスルー。
朝靄がかかった神秘的な遺跡に足を踏み入れた。
この旅で好きな場所は2つ、それは遺跡と旧市街。
数多くの、しかも世界遺産に登録されている遺跡を目にしてきたが
マチュピチュは別格だった。
高い、高い期待値の遥か頭上を越えていった…。
大げさだけど、
感動を超えると人は立ち尽くす。マジで。
インカの失われた都市、空中の楼閣、空中都市…
数々の呼び名がある遺跡で、
6世紀にインカ帝国を征服したスペイン人さえも気付かず、
20世紀に入るまでその存在は世界に知られていなかった。
ハイラムビンガム
1911年、アメリカ人歴史家・ハイラムビンガムによって
世界に紹介されたマチュピチュは
20世紀考古学界の最大の発見と賞された
チュピチュの総面積は5km²で、
その半分の斜面には段々畑が広がる。
西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、
周囲は城壁で固められていた。
遺跡をじっくり見たいところだが、
やらねばならないことがある。
早足で遺跡を突っ切って、一番奥のパチャママの神殿へ向かった。
1日400人(?)と言われる
「ワイナピチュ」に上るための整理券が欲しいから。
47番、お目当ての整理券を手に入れた。
午前7時、開門と同時にワイナピチュ登山を開始。
マチュピチュの太陽神殿に対して、
ワイナピチュの裏手には、月の神殿がある。
ワイナピチュ
山は断崖絶壁で、山道は急勾配だった。
連日の雨で足元が緩くなっている、
1歩1歩頂を目指して大地を蹴った。
心配していた雨は降らなかったものの雲は厚い…。
ワイナピチュから望むマチュピチュは絶景だと評価が高く、
本やテレビでさんざん目にしているが
やっぱり自分の目で見てみたい!
空は見ずに、今は足元だけを見て前に進もう。
40分ほど歩くと頂に到着した。
視界が開け、尾根に横たわる遺跡が見えるはずだった…。
分厚い雲、山を包む白いベール、
空中都市は発見されることを恐れ、隠れたままだった。
息が切れた。
想像以上にハードな道のりで、
よくぞこんな場所に神殿を造ったものだと感心させられる。
どおりで発見されなかったわけだ、、、。
見えない遺跡、でも確かにこそにある。
このまま下山するには惜しすぎるので、
時間が許す限りここにいることを決めた。
雲の切れ間、奇跡の瞬間
2時間ほど経っただろうか?
その瞬間は唐突に訪れた。
なにかの演出のように雲が薄くなっていく―、
く、来る…カメラを構える手に力が入った。
ラピュタを見つけた瞬間もこんな感じだったのだろう。
雲の切れ間に“都市”が浮かび上がった。
「マチュピチュだ…」
ここからの眺めは素晴らしい。
ましてや奇跡的に雲が晴れるんだから。
夏草を踏みしめ遺跡を歩く
興奮冷めやらぬままワイナピチュを下り、
再びマチュピチュに戻ってきた。
壁1枚、柱1本、畑1つが魅力的だった。
迷路のような階段や通路を歩き、夏草を踏みしめ、
悠久の空気を吸う。
憧れだった場所がまた1つ現実のものとなった。
今日だけで800枚の写真を撮り、
まだ正午過ぎにも関わらず
未練を残しつつも遺跡を後にした。
未練は、次に来るのためにきっかけになる。
未練を残しながら
バスに乗り込むと同時に雨が落ちてきた。
さっきまでの晴天が嘘のよう…。
雨は激しさを増し、村に着くとまるで洪水のようだった。
紙一重か…。
最近は晴れ男ぶりを取り戻し、ほっと胸を撫で下ろしている。
しかし、南米の旅はスケールがでかい!
アジア、アフリカの旅とは比べものにならないくらいに
レベルが高くて…。
パタゴニア、イースター島、ウユニ塩湖、マチュピチュ、
たった1ヶ月でどれだけ濃い時間を過ごしたことか。
できればもっと早くに南米に入って、
ゆっくりと各地を巡りたかった。
この旅に残された時間はあと僅か…。
でも終わりがあるから、旅に緊張感があり、感動が薄れない。
いいさ、未練を残しながら旅を進めよう。
次に来るきっかけがなくならないように。
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