ハルタビ ’19(中欧編) ♯8 あした世界が終わるとしても

ドゥブロヴニクから日帰りでモスタルへ向かった。
海沿いの道を雨を切って走る。
今は雨のシーズンらしく、降水確率は100%になっていた。
さすがに今回は天気運は通じないのだろうか…。

 

96ヶ国目、ボスニア・ヘルツェゴビナ

モスタルへは現地ツアーを利用した。
日本で予約をしておいたが、当日の朝、
集合場所に行くもなかなかツアーバスを見つけられず
不安な気持ちで待つことになった。

バスに乗り込み、2時間ほど走ると、
メジュゴーリエという村に着いた。
快晴だった。

カトリックの巡礼地であるメジュゴーリエ。
ボスニア国内外から大勢のカトリック教徒が巡礼に訪れるそうだ。
ドゥブロヴニクからモスタルに向かう道中に位置するため、
たいていのツアーに組み込まれている。

メジュゴーリエは小さな村だが、
奇跡の地として注目を集めている。
1981年6月24日に、6人の子供たちがマリアを目撃したことを発端に、
ファティマ同様に巡礼者が絶えないのがだとか。
教会ではミサが行われていて、美しい賛美歌が響いていた。

滞在時間が1時間あったので、教会を見学した後は
小走りで郵便局へ向かった。
バスの中から見つけていて、歩ける距離かなと思っていた。
集めている切手を買い、切手帳に貼った。

 

モスタルのランチ

モスタルに着くと雨が落ちてきた。
青空を背景に写真が撮れないのは残念だが、
石造りの町並みは雨もよく似合う。

旧ユーゴスラビア内戦で戦場になり、
ネレトヴァ川にかかるスターリモスト(橋)も破壊された町だが、
20年が経った今は平和を取り戻している。

まずは昼食をと、
目星をつけていたボスニア料理店「シャルドヴァーン」に入った。
サルマ、ヤプラック、ボサンスキロナッツなど、
聞きなれないボスニア料理の盛り合わせを注文すると、
びっくりするほど大きな器でサーブされた。

トルコで食べた料理によく似ていて、
基本的に煮込み料理が中心。
味も申し分なく、これで3000円程度なのはお得だと思う。

 

平和の橋「スターリモスト」

さて、腹ごしらえが終わったので、
再びメインの通りへ。
さっきよりも人が増えていて、
表参道に原宿のように歩き辛い。
しかも傘の花も咲き始め、ごちゃごちゃ。
せっかくの風情ある石造り町並みなのに
少し残念だった。

サラエボと並び、ボスニアを代表する観光地で
世界遺産にも登録されている。
かつてオスマン=トルコ帝国に支配されていたため、
どこかオリエンタルな雰囲気が残されている。
スターリモスト橋の西側にはカトリック系、
東側にはイスラム系の住民が生活をしているそうだ。

カメラを濡らさないように店の軒先から
レンズを覗く。
人並みが途切れた瞬間を狙って。
どこを撮っても絵になる景色で、
3時間という短い滞在時間が恨めしかった。

オスマン=トルコの影響を受けているため、
イスラムの雑貨をよく目にする。
キリム絨毯を売っている店もたくさんあり、
ついつい5枚も購入してしまった。
荷物になるし、家で置き場所にも困るのだが、
最近は旅先でよく絨毯を買ってしまう。

ふいに雨が上がった。
少し早足で町を巡る。残された時間はあと僅かだ。
2台のカメラを駆使して、景色を切り取っていく。
ヨーロッパとイスラムが溶け合った町は
この旅のどことも似ていない、
唯一無二の景色。
名前しか知らなかった国がまた1つ、
記憶に焼きついた。
きっとまた、ここを訪れる日が来る気がする。

 

ポチテリ

モスタルを後にし、
最後に立ち寄ったのがポチテリという小さな町。
(何度も「ポテチリ」と言い間違えてしまう…)

16~17世紀にかけてオスマン=トルコ帝国により建設され、
丘にイスラム建築の集落が築かれていて、
時が止まったかのように静かだった。

当時のモスクやハマム、時計塔が残っていて、
古の景色を見せてくれた。

濡れた石畳みや草木は
しっとりとした安らぎを与えてくれて、
頂上に向かって細い路地を歩いているのが
そこはかとなく幸せな気持ちになる。

ノイズ混じりのアザーンが丘を包んだ。
伸びやかで、哀愁を帯びた歌声は、
言葉の意味がわからなくても、
祈りという、無垢な安心感に満ちている。
何かに期待するのではなく、
何かに感謝する、祈り。

夕方の町に鳴り響く大聖堂の鐘の音も良いが、
モスクのアザーンも好きだ。

 

この旅は毎日、祈りの音の中で過ごしている。

自分の生活とはまったく違う日常に出会えることが
きっと旅の醍醐味なんだと思う。

 

旅のカケラ/slideshow

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